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Kyoto Sanga F.C. & Takarazuka Review and etc.

「大関ヶ原展(前期)」京都文化博物館

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京都開催始まって最初の土曜日に行ってきた訳ですが、思ったほど混んでなかったですね。私の混雑基準が正倉院展とか、科博のチョコレート展とか、同じ京都文化博物館でもインカ展の方がよっぽど人が多かったので。

そんな訳で、前期展についてあれこれ感想とか思ったことを書きますが、出品リストの順に書いているので、実際の展示順とは異なります。また、全部取り上げてるときりがないので目に付いてメモを残した物だけです。

プロローグ 描かれた戦場

屏風・絵巻

3.関ヶ原合戦図屏風(前期)行田市郷土博物館蔵

右隻に杭瀬川合戦、左隻に関ヶ原合戦を描いたもの。総じて他の展示品の屏風よりも色数や人物の数が少なく、製作者の財力差を感じる一品。

左隻の関ヶ原は井伊家主体で石田三成も徳川家康も馬印や陣幕のみの描写。なので、場面としては井伊家vs宇喜多・島津。図録の解説に「彦根城本の関ヶ原合戦図屏風をもとにして」と書かれていたのでなるほど納得。

で、井伊家が赤いもんだから、宇喜多の青がすごく対比として目立っていて、そうでなくても家康の「伍」の旗といい、東軍は赤色だから、これはひょっとして作者は源平合戦の二色対比みたいなのを意識したのかな、とか。

4.関ヶ原合戦図屏風(前期)関ケ原町歴史民俗資料館蔵

これも彦根城博物館の物がベースになって、各種エピソードを詰め込みまくった構成。制作年代が割と古く(嘉永7年/1654)話は盛られてるにしてもトンでも誇張ではないのかな、と。逆に政治的な意図が込めまくられてる時代か。

7.関ヶ原合戦図屏風(前期)大阪城天守閣蔵

江戸時代後期の作品。ほぼほぼ娯楽要素が強く、「強い島津」「強い井伊」の華々しい(島津は退き陣だから華々しくはないか)武勇をクローズアップしたもの。なので家康すら脇役のように右隻の端に着座してるだけ。当然三成は陣幕のみ。さらに時系列は完全無視(島津が的中突破する局面なのにまだ宇喜多が最前線で戦ってる)で、島津と井伊の「江戸時代後期には失われた武士の姿」みたいなのを描いたのかなーとか。

12.関ヶ原合戦図絵巻(前期)東京国立博物館蔵

先週、安土城考古博物館で見た合戦図絵巻に比べるとあまりにもシンプル。あれは絵巻そのものが芸術品というか、作品としての完成形であったけれど、こちらはメモというか、これを元に「関ヶ原合戦」テーマの作品を書くためのベースのような印象。

第一章 秀吉の死

文書類

17.宇喜多秀家血判起請文(前期)大阪城天守閣蔵

起請文って捧げた後は焼いてその灰を飲むとかするんじゃなかったっけ? 控えみたいな形で置いとくとも聞いたけど、これはその控えの方なんだろうか。べたべたと起請文にありがちなハンコが押されていたりで、起請文のスタイルって(今はもう断絶してるけど)長い期間そんなに変わらなかったのかなぁ、とか。

どうでもいいけど文中に「偏頗」とか出てきて今はもう金貸しの話題でしか使わなさそうな単語だなぁと。

武具・具足等

30.朱塗黒糸威二枚胴具足 致道博物館蔵

酒井忠次所用の鹿角兜。黒糸威で重厚感のある中で、鹿角だけが鹿角の素材感というか、あの角のまだら模様そのままなのがインパクト大。

31.黒塗軍配団扇 致道博物館蔵

拡大鏡が2枚はめ込まれて方位磁石まで仕込まれている軍配団扇。拡大鏡を要するということは酒井忠次がそれなりのお年の時に使ってた物なのかなぁ…

刀剣類

35.短刀 銘 吉光 名物 毛利藤四郎 東京国立博物館蔵

今回の展示品の中で、刀剣類はそのほとんどが鎌倉時代以降、室町時代までの太刀が元になってるもの。擦り上げられて使われてきた、所謂「歴戦の勇士」。実用としての刀が必要とされた時代だから、新しい刀よりも、ビンテージ品というか、昔から使われてきた(=実用に耐えうると実証されてる)ものが重宝されてたんだろうなぁ…

それにしても太刀を擦り上げたにしては反りが変になってるのもなかったから(ex.120.備前元重)、そのへんも選りすぐって使い回されてたんだろうか。たまに擦り上げられたものの、大太刀だったときの名残の反りがハンパに残ってるのもあるけど。

第二章 合戦前夜

文書類

52.徳川家康朱印状(前期) 徳川記念財団蔵

朱印状、と聞くとどうしても公的文書みたいな印象を受けるけど、これは隊内法規みたいなもの。関ヶ原合戦を前に(したかは分からんけどきな臭くなってきた所で)隊内の禁止事項を明文化して規律を引き締めようとしたのでしょう。

このうち、乱暴狼藉、喧嘩口論、農地での勝手な刈り取りの禁止は他の禁制(ex.137 福島正則禁制)でも挙げられる、いわば「定型文」だけど、流石家康、他にも抜け駆け禁止だとか他の部隊となれ合うなとか、長柄槍禁止とか。…長柄槍禁止ってのは戦いのやり方が鉄砲に変わったから長柄槍のリーチを活かす戦い方をしなくなったことの現れなのかなぁ…

56.内府ちがいの条々 大阪歴史博物館蔵

三奉行による家康糾弾状。福岡開催では違うバージョンのか出るらしい。

合戦前の書状といえば、直江状が有名だけど(同時に偽書説が有力)、あれを見ると上杉征伐に加わってる大谷刑部を名指ししてボロカスに罵倒してるのに、結果として大谷刑部も西軍だから同じ側になったと知ったときの兼次の心中を思うとほんとに…他人事ながら…m9 そんな直江状は後期の展示。

74.京極高次家臣連署状(6/2〜7/5) 個人蔵

関ヶ原合戦の前哨戦、大津城防衛戦の際、上杉征伐からトンボ帰りする時に、湖上を移動する(陸路より早い)ための手伝いをしたり、籠城中も水上からの援助をしたことに対して、大津百艘(南琵琶湖の湖上交通を把握してた職業集団みたいな)への礼状。報酬として渡された銀3枚ってのが果たしてどれくらいの価値なのかはともかく、地元を味方につけてたのは籠城側だったのかと。

武具・具足等

118.茶糸素懸威黒塗桶側五枚胴具足・鉢巻型兜 榊神社蔵

私の大好きな変わり兜(それもへんてこ系)。手ぬぐいを巻きつけたような形。榊原康政の甲冑で今は榊神社の御神体………御神体!? そんなん借りてこられたん!? しかも通期展示って…太っ腹すぎませんか榊神社様…

刀剣類

113.薙刀直し刀 骨喰藤四郎(前期) 豊国神社蔵

とうらぶに出てくる刀?とのことで後からぐぐりました。

とはいえその辺よく分からないので私の感想は「薙刀直し刀なのに綺麗な形だ(薙刀らしい反りがない)なぁと思ってたら、鎌倉時代の薙刀は反りが少ないのが特徴だそうで。なるほどそれは再利用しやすい。

第三章 決戦!関ヶ原

武具・具足等

160.金扇馬印 久能山東照宮蔵

家康の馬印として有名な金地に赤日の丸の扇形馬印。………思ってた以上に大きい…骨の長さ5尺以上の巨大さ。これを戦場で、大将の馬印だからしずしずと進んで行くんだろうけど、繊細そうな形してるからどんなけ

裏で頑丈にしてるんか…

206.金銀象嵌南蛮兜(前期) 大阪城天守閣蔵

加藤嘉明所用の兜。…これは…とても理解に苦しむ模様というか…象嵌で甲骨文字みたいな漢字とか、龍というよりもトカゲにしか見えない(まぁ龍とトカゲは親戚みたいなもんだけど)生き物とか…お、おう…みたいな。

224.鉄錆地五十八間筋兜(前期) 山口・住吉神社蔵

毛利秀元所用。前立てに鳥居と「八幡神」の文字。

毛利家ってどっちかと言えば厳島信仰(平家)なのに八幡神(源氏)?とか八幡神ってでかでかと書いてあるのに住吉神社に奉納したのかとか。武運長久のためならそのへんの神様は特にこだわりないのか。

第四章 戦後の世界、天下人への道のり

文書類

279.豊臣秀頼自筆神号(前期) 大阪城天守閣蔵

登場5〜7歳にしてはものすごく立派な文字で、秀頼暗愚説を批判する時にもよく使われるやつ。別に秀頼天才説を指示するとは言わないけど、英才教育の賜物は確かにあったと思うんですよ。

刀剣類

267.大身槍 銘 兼重作 東京国立博物館蔵

加藤清正所用の大身槍(直槍)。加藤清正といえば片鎌だろう、という人は長浜城歴史博物館にあるから(常設はされてないけど)そちらも見に行くといいんじゃないかな…

第五章 徳川家康の素顔

人物画

292.東照大権現霊夢像 寛永十八年正月十七日(前期) 徳川記念財団蔵

束帯姿で神像の体裁(高欄、化粧畳、雲、狛犬)で描かれた家康像。

293.東照大権現霊夢像 寛永十八年二月十七日(前期) 徳川記念財団像

こちらは僧形(とはいえ傍らには刀台が描かれてるけど)で神像の体裁。

292と共に家光の夢に現れた姿とされているけれど、この17日という日は何があるんだろう。ぐぐったけど別に家康の命日でもなければ家光の誕生日でもない…

家光が「家康が夢に出てきた」と大々的にアピールするのは、寛永14年に島原の乱があって、鎖国体制を確立させたのがこの頃だから、専制的な「将軍」というか、徳川宗家をトップとする国体の正当性みたいなのをアピールする上で有効だと考えたのかな。東照宮の造営で、家康自身の神格化を推し進め、その恩恵を受けている自分、という立場をアピールするというか。

エピローグ 家康の神格化

ここは前のコーナーにあった東照大権現蔵とも相まって、家康の死後に、主に(秀忠ではなく)家光によって神格化が進められていったのがさらっと。

戦国武将の神格化といえば過去に安土城考古博物館で「天下人を祀る」でやってたけど、自らを神格化しようとしたのは秀吉からが顕著だと。信長までは(近江に限れば浅井も六角も)寺社を城の中に囲い込んで信仰の対象と一体化しようとはしたけど、自らが神になろうとはしなかった。秀吉は信長の神格化を阻止する為に仏式の葬式を断行し(その時点で自分の神格化までは計画してなかっただろうけど)、自らは豊国大明神になろうとしたし、家康は東照大権現になろうとした。

豊臣の時代がもっと長ければ豊国神社がものすごく豪華になってたんだろうか。

その他

パネル展示

関ヶ原古戦場の写真や、関ヶ原合戦にまつわる色んな人物の紹介が壁面にパネルとして並んでました。とはいえ、関ヶ原古戦場は春にも夏にも秋にも冬にも行ったしなぁ…と、今回はスルーしました。

プロジェクションマッピング

関ヶ原合戦の戦況をプロジェクションマッピングで解説してる映像コーナー。正直なところ、わざわざプロジェクションマッピングを使うほどのことか? 通常のスクリーン投影で十分に事足りる内容(慶長5年9月15日だけの戦況を1時間ごとにざっくり区切って解説するだけ)

思ったほど混雑もなく、比較的楽に見られました。

物販

クリアファイルとかブロックメモとか、あまり見覚えのないグッズもあって、これはどこが作ってるやつだろう…東博とかに入れてる業者かな? 刀シャーペンとかも面白いと思ったけど結局マステくらいしか買わなかった…

あと、何がびっくりって丸武産業さんのコーナーがあったことですよ。数年前に聞いた時は忙しすぎて個人オーダーメイドの甲冑制作はもう受け付けてないとのことだったけど今もなんかな。いや、買わんけど。高級車並みのお値段だし。

今回の図録は2800円。トートバッグ付で3000円ととってもリーズナブル。

それにしてもこの図録の分厚さをご覧よ…

2センチ以上あるで…重たい訳やで…

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