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Kyoto Sanga F.C. & Takarazuka Review and etc.

星組『阿弖流為 –ATERUI–』シアタードラマシティ

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物凄く久しぶりの記事です。

この間にもあみぐるみ作ったりまぁくんのコンサート見たりしていたのですが、如何せんサンガの調子が低空飛行過ぎて週末は脱力感と共に過ぎていっていたんですよね…

そんなこんなで三連休初日はアテルイを見てきました。…いや、ほんと見に行って良かった。むしろ、見られて良かった。

とても貧弱な前知識

そもそもアテルイとは

根本的な話ですが、私、このアテルイという存在は歴史の登場人物の一人、という認識しかなかったんですよね。むしろ敵役(かたきやく、と読んでほしい)の坂上田村麻呂の方がずっと身近な存在。それは私が関西人だから特にそう思うのかもしれないけれど、なんせ田村麻呂を祭った神社は滋賀にあるし、田村麻呂の墓は山科にある。

…どうでもいいけど「京都にある」ではなく「山科にある」っていう表現がとても…山科という地域柄を顕しているというか…ね…山科はほら、洛外だから。

そんなわけでアテルイという存在はせいぜい最近読んだこの本に出てきたな、くらいの扱いでした。

作者はあの炎の蜃気楼シリーズで物凄く有名な方ですが、このシリーズは個人的に凄くおすすめです。考古学についても最新の(というと大袈裟かも知れないけれど、実際に近年行われている)調査を取り上げているので物凄くリアルです。この悪路王編は東北の震災復興にかかる発掘を取り上げているので、なかなかにタイムリーです。

新刊では鷹島の沈潜調査を取り上げているのでこれもなかなか新しい話ですね。

それはさておき。

とりあえず原作を読んでみた

舞台に関してはネタバレを気にしないというか、そもそもこの公演、チケ難すぎて一回見られたら御の字くらいに思っていたのでストーリーの把握に脳内メモリを割きたくなかったんですよ。内容把握した上で、演者を見たい。なので原作も読みました。

…この作者はデビュー作の写楽殺人事件で私が通算5回ほど途中で挫折して、読み始めてかれこれ25年以上経つのにまだ最後まで読めてないっていう超鬼門の作者なもんで、かなり身構えてたんですが、火炎はすごく読みやすかったです。…でもこの勢いで写楽に戻ってもまた挫折する予感しかしない。

読んでる最中から、ほんとにこれはことちゃんにあった役柄だなぁ…というかこれをことちゃんがやるのかぁ…と思うと物凄く感慨深い思いでしたがこの時点からラストで号泣する予感しかしない、やばい。

ていうか本読みながらこんなに号泣したことって…あったかな…ってくらいラスト100ページ過ぎてからがやばい。通勤電車で読んでたけど、とてもこれは読めないと思って家で読んで号泣ですよ。やばい。

舞台は舞台で物凄かった

どうしても短く纏めるために戦の大部分がカットされて、見せ場としてピックアップされてたのはだいたい以下の場面でした。

  • 飛良手が寝返ろうとする場面
  • 鮮麻呂が紀広純を討つ場面と、それに伴って阿弖流為達が伊治の城下を撹乱する場面
  • 紀古佐美率いる軍の筏を流木を用いて壊滅せしめる場面
  • 業と味方を裏切らせ、自分を鬼として討伐せしめる場面
  • 最後に飛良手が田村麻呂に首を差し出す場面

原作と扱いは異なる物の、結果として同じ流れに持っていったエピソード

  • 阿弖流為達が都へ行き、田村麻呂と見える流れ
  • 諸絞が内通の疑いで殺されたことにして顔を潰し(原作では焼いて)軍に残る

とにかく、話のスピードがハンパないのでネタバレ云々言ってないでほんと原作は読んでから見た方が良いと思いますとても。物部天鈴の立ち位置一つ取っても、時間がなくて説明もあっさりしすぎて利害関係しかないような形になってしまっているので…勿体ない。

ただ、映像装置4台使って場面を回していくのは物凄く映像もキレイで、映像でしか出来ないことも多々あって、陸奥の豊かな自然の移り変わりを鮮やかな映像で表現したのは本当にキレイでした。DCの最後尾から見てたけど、ほんとに息を呑むキレイさ。

せっかく可動式スクリーン4枚あるんだから、ラインナップで4人ずつ出てくるところで名前も出してあげられたら良かったなぁ…と出来もしないことを承知で思ったりもしたのでした。

私の理想の母礼

いきなり母礼(綾凰華)からですが、今回、役の比率としては田村麻呂>母礼なので、母礼と阿弖流為との関係性はかなり省かれています。母礼に限らずだけど。

その中において、母礼は最後まで阿弖流為について河内に行き、そこで一緒に死ぬことになるので、その「死ぬときは同じと決めていた」だとか、そもそも「お前以外のために策を立てる気は無い」だとか、阿弖流為に「死んでくれ」と言われて「元より」と答えたり…要するにこの二人の間にあった、盟友であり親友であり、兄弟(実際阿弖流為は母礼の妹を娶るので義兄弟ではあるけれど)というか、魂で繫がっている二人だということをいろいろ差っ引かれた場面の中で出さないといけないんですよ。なかなか酷な要求だとは思う。

ただ、綾くんのしゅっとした立ち姿は正に「知将」であったし、その「死ぬときは同じと決めていた」場面もとても自然であったので…いや、ほんと終盤ずっと泣かされてましたね。

だからこそいろんな事情で母礼のスチルないのが…!なんでだよおおおおおお仕方ないのはわかるけどおおおおおお(滂沱)

綾くんとことちゃんの並びが凄くよかったのにこの公演終わったら雪組に行ってしまうのか綾くん(´・ω・`)

礼真琴の存在感の前ではDCですら狭い

DC初主演…でしたっけ? っていう疑問符が常につきまとっていました。所狭しと駆け回ることちゃんの存在感は物凄く大きくて、歌ってよし(知ってた)踊ってよし(知ってた)演じてよし(知ってた)…がほんとにどれもこれもレベル高すぎて…いやぁ、この数年来ずっと、毎公演思わされて来ましたけどことちゃんの伸びしろが底なしすぎて、結局硝子の天井にぶつかって伸び悩む時期などついぞ来なかったね…と。

阿弖流為は蝦夷の戦士達の中では一番年下なのに棟梁になるわけだけど、今回は皆若手だからそもそも原作にあるような年齢差が全くなくて、その中でことちゃんの存在感なので、まぁなるべくしてなった棟梁という説得力はとてもありました。

というか冒頭のダンスからして礼真琴の真骨頂だしほんと…いや…すごいわこのこ(何年経っても変わらぬ安心と安定の礼真琴)。新公初主演のロミジュリの時から既に何の心配もしてなかったものね…

こちらも難しい役をやり遂げてた飛良手

新公経験してドーンと伸びた感のある天華えまくん。飛良手もまた、最初に裏切ろうとして丸腰の阿弖流為に御されて命も救われて…っていう大事な場面があるのは原作と同じですが、やっぱり尺がないので…いきなり裏切る。それを阿弖流為が追いかけて、丸腰の阿弖流為と相対するわけですが…阿弖流為には援軍が。いやいやいや、そこは原作通り丸腰の阿弖流為が勝って、飛良手の命を預かる流れの方が感動まするし、今後の飛良手の献身っぷりにも繋がるんじゃないのかと思うのですが…うん、尺がないんですよね! しゃーなし…

そんなわけで、飛良手が阿弖流為に心酔し、尊敬して献身的になったきっかけが…若干薄いと言わざるを得ないのですが、母礼と同じく、飛良手の立ち位置は役の比重削られても原作と同じ物を求められているので、二人の首を前にして田村麻呂に首を差し出す場面までに立ち位置を原作に寄せていかないといけない…これも難しい要求だとは思います。

でも天華くんの飛良手凄い良かったんですよ!! ほんとに、凄くよかった!! 猛比古の存在がこの公演ではないので、二人分頑張った感があります飛良手。

音咲いつきくんの最後の男役

惜しい実に惜しい。次回公演からは娘役になってしまう音咲くん。ほんっとにこんな星組の中にあって尚ビジュアル系ぶっちぎれる男役…! 勿体ない!!

今回の役は和賀の諸絞。原作だとかなり年上ですが、あまりそれを意識させる場面はなく、むしろ最後の方で「息子達が」と言う場面くらいではないかな…

音咲くんの諸絞があまりにもビジュアル系すぎて、一幕は「この諸絞が顔を焼くのか…いや、それもカットするかな、尺の問題で」と思っていたら、そのものズバリな場面(原作では灯明油を自分で顔に塗りたくって火を点ける)は無かったものの、顔を潰して軍に残る下りはそのままで、役の比重としてはかなり大きく残った印象です諸絞。

その一方で、割を食ったというか、ごっそり削られたのが伊佐西古(ひろ香祐)と阿奴志己(天飛華音)。特に阿奴志己は関連するエピソードが全てごっそりスキップ対象だったので…伊佐西古は脳筋キャラアピールという方法があるものの、阿奴志己はここぞというアピールポイントがないのが残念。

田村麻呂の中間管理職っぷり

征夷大将軍などという「武家の最高位」であっても所詮は官位としては下の下、という辛い立場な田村麻呂。原作では誰とも知れぬ蝦夷の首を弔う場面(で阿弖流為と出会う)は鮮麻呂(壱城あずさ)の首という設定で、原作では描かれなかった鮮麻呂の最期を阿弖流為が見届ける流れになっていました。

田村麻呂と阿弖流為との関係は、幼い頃に多賀城で出会っていた、という原作設定がないので(少なくとも触れられてない)役の比重は上がっているものの、お互いを武人として認め合う場面が(尺の都合で)またまたカットされまくっていて…田村麻呂の葛藤がなかなか見えづらいなぁ、と感じました。飛良手を斬った後で原作通り「蝦夷に生まれたかった」のセリフとなるので、もっと都人にウンザリしている(けれどもお役目は投げ出せない)感じが回を重ねるごとに出てくるのかな、と思います。

本当に闇が深い都人は誰か

蝦夷を人とも思わない貴族たち、とは原作でも書かれてはいますが、それをより強烈に描いてきたな、と思いました。大野先生の本気を感じました。生半可なことでは蝦夷の立ち位置や、ラストに至る阿弖流為たちの決断に説得力がないからとはいえ…えげつない。

紀広純(輝咲玲央)にしても、その後の紀古佐美(夏樹れい)にしても、それぞれ方向性が違う残酷さを見せつけてきて、その根底には蝦夷を人とも思っていない、という強烈な蔑視がある…大野先生なかなかえげつない描き方をするな…と思いました。だからこそ感じる大野先生の本気。

そんな貴族たちに対する桓武天皇(万里柚美)、一幕では貴族たちの専横に頭を悩ませる気弱な天皇(すめらみこと、と読んで欲しい)かと思いきや、田村麻呂の阿弖流為の助命を一顧だにしない冷徹さで、田村麻呂すら「道具」と言い切る、実は誰ひとり人間扱いしていない天皇。…一番闇が深いのはやはりこの人なのか…っていうか柚長、フィナーレの娘役群舞にいませんでした? この人さっきまで桓武天皇でしたよね!? って私も自分の目と記憶が疑わしい…

大野先生のこだわりハンパなかった

公演プログラムを開いたときから、「あ、大野先生これこだわり棄てきれんかったやつや」ってなりましたよね。信長の時も思ったけど、「この演目での立ち位置」「原作での立ち位置」「史実での立ち位置」についてそれぞれ言及した上でなおかつ追加情報として架空の役であれば名付けの由来やバックヤードまで説明する……字が小さいよ!!!

ほんとにものっすごいこだわりを感じました。

なんていうか、歴史物をやらせるなら大野先生、っていう一種の安心感があります。こだわりはあるけれど、史実や文献資料に固執しないあたり。

特に今作は娘役は原作にない役を割り振るしかないところが大きい作品ですが、そこは大野先生のこだわりのなせる技で、きれいにまとまっていたと思います。配役出たときに田村麻呂配下の女官ってなんだよ、って思って正直申し訳なかった…また、佳奈(有沙瞳)の役所が既に一度嫁いだ先で夫と死に別れた設定になっているのですが、原作とは違った形で「強い」女性に描かれていました。田村麻呂に対し、「降伏で無いのだから連行される道理はない」と訴える場面や、根性の別れであるのに気丈に振る舞い、蝦夷は強い、と言う場面。

いやーよいものを見ました。後半ほとんど泣いてたけど。…泣くのわかってたからアイメイクほぼゼロで行きましたよね…うん…

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