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Kyoto Sanga F.C. & Takarazuka Review and etc.

雪組『ニジンスキー』宝塚バウホール(初日)

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 見てきました。なんて言うか、宝塚にはあまりない、というか少なくとも私は見たことがない、本当に重たい演目でした。終始シリアス。救いがない。けど誰かが絶対悪な訳でもない。皆ある意味等身大の「人間」で(ニジンスキーは類い希なダンスの技量を持ってはいるが)、一国を背負うような権力者もおらず、またそんな彼らの葛藤の中に奇跡は起こらない。あるのは残酷な必然だけ、という…
 以下の感想にはあちこちにキタチギだの何だのという単語が出てきますが、別にちょ、ホモww みたいなノリではないです。でもそうでも言わな呑まれる。それくらい重たい。真正面からぶつかって受け止めたら凄い苦しい。だから演じてる人はもの凄い…プレッシャーとストレスなんじゃないかな…ちぎたんそれ以上痩せんといて…

 セルゲイの回想から始まって(ここのオヅキ氏の老齢の演技凄い好み!)、ポスターにあったあの衣装でのちぎたんのソロダンス! 割と長いちぎたんのソロダンス! ただ、私には造詣がないのでどこが何を表現しているのかまでは分かりません。私が少しでも動きの意味が解るのはインド舞踊くらいです←
 ちぎたんは人つきあいの苦手な、孤高だからというよりも本人もナイーブな印象。相変わらず年齢不詳な美少年なちぎたんがやるから余計に神秘的というか、常人離れした存在感。パンフに耽美、て書かれてるけどほんとにそうだわ。最初の歌声は正直「ちぎたさん…! ヽ(´Д`;≡;´Д`)丿」と思ったことを白状します。いや、まぁ初日の一曲目だしね。ね。
 で、演目がニジンスキーと決まってから、そしてセルゲイ役がオヅキ氏と発表されてから、割とみんな気にしてたヴァーツラフとの関係ですが。まぁ匂わせる程度のさらっとかなー…ガチでは織り込まへんやろさすがに、とか思ってましたが最初から最後まで一本筋として通ってました。なんてこったい。ていうか一幕の割と早い段階でセルゲイがパリの安宿でヴァーツラフに跪いて愛を告げたとかさらっと出てきてぎょっとしたわ。ナチュラルにヴァーツラフの後ろから顎に手を添えてキスするわ、長椅子に背を預けたヴァーツラフのタイを乱暴に抜き取るわ…え、ええのん? 而してここでヴァーツラフが「今夜は疲れてるんだ」とかなんとか拒否る訳で…割としっかり、生々しくやったのね…なんて思ってた私はまだまだ甘かったわ。
 牧神の午後はOPとは勿論ガラッと変わった衣装と、山羊の角を思わせる鬘。メイクもより悪魔的になって。ニンフの残した布を相手に想いを遂げようとする所はなんていうか…エロチック、という単語が適切なのか私には解らん。今もすごく言葉選んでるんだけど、身も蓋もない言い方をするなら布を相手にオナってる、と言ってしまえるんだろう。けどそうじゃないんだ。いや、行為としてはそうなんだけどさ。でも違うんだ。何を表現しようとしたのかは凡人には解らないんだけど、セクシャルな事ではない筈なんだ多分。
 踊りたい、ただ踊りたい、というヴァーツラフはそれ自体が何かに取り憑かれているかのように、何かを表現することに渇望していて、セルゲイは、ヴァーツラフが「鳥籠」というように柵だったのかな…でも、セルゲイのヴァーツラフへの愛情は確かに純粋な愛情で、アポロンとヒアキントスみたいな関係、ともすれば、プラトニックでも成り立ったんじゃないかとさえ思った。
 ロモラと結婚して自分を捨てたヴァーツラフへ憎しみを募らせるセルゲイ、私ロミジュリのティボルトでも思ったけど、オヅキ氏の怒りの芝居がすごく好き。雪組だとホントに大きいから見た目の迫力があるってだけじゃなく、内の怒りの炎みたいなのがふつふつとわき出してるかのような怒りの芝居がすごく好きだ。
 結婚して、子供も産まれて、でも解雇されて全部自分でやらざるをえなくなったヴァーツラフ。踊りたい、踊れる環境を自分で作らなきゃいけなくなって、でも外国で軟禁状態になって自分ではどうすることもできなくてセルゲイに連絡を取ろうとして、あの手紙を書いてる、書こうとした時の何かを吹っ切ったような表情は何だったんだろう。自分は(自分と家族を捨てた父親とは違って)「どんな事をしても」妻と子を守らなくちゃいけない、っていう決意なのかな…その後の自分を待ち受けるのが、決して好意的に考えられる展開ではないことは察しがついていたと思うけど。
 パリに戻ってから少しずつ狂っていくヴァーツラフも凄く丁寧に書かれてた。丁寧すぎてこれを演じるちぎたんが期間中に激やせしないだろうかと(既に十分お痩せになっておられるが)とても余計な事ながら心配してしまうよ…
 セルゲイとロモラの対決というか、対面のシーン、お互いヴァーツラフにしてあげられること、してあげられないこと、ヴァーツラフからそれぞれが奪ったもの、ヴァーツラフに与えたもの…セルゲイと渡り合うロモラは大変に強い女でした。一幕で「ファンなの」と言った時はまだお嬢さんだったのに、ここのロモラは「妻」だった。
 そんなとってもとってもドシリアスな場面にも関わらず、オヅキ氏の「私は子供は産めない」発言にキタチギじゃなくてまさかのチギキタなのか、とか逃避してマジすいませんでした。解ってるよロモラに対してだからそういう意味ではないことは。でも重たい物を真っ向から受け止める事を忌避した私に、腐った頭はそんな変数を返したんだ…
 そしていよいよ狂ってしまったヴァーツラフ。ここ、ホントに苦しい。初日だから泣かなかったけど、複数回見たらここ、耐えきれない。
 最後、回想のなかで踊るちぎたんが美しすぎて辛い。OPと同じダンスなのに、こちらの方が力強い気がする。表情も明るくて。これはヴァーツラフが肉体の柵から解き放った「精神的な何か」の具現なんだろうか。

 結局ちぎたんとオヅキ氏とあゆちゃんしか触れてないのですが、せしるさんがなんていうかアイドルでした。アイドル。ジャニーズ系なんだけど嵐とかKAT-TUNとかではなく、強いて言うなら光GENJIです← そんなせしるさんが思いを寄せるマリー(あやなぎくん)とのシーンでは何度となく「身長…」と内心で呟いたことを白状します。ごめん。いやだってほら。
 作曲家のきんぐ氏とか振り付けの大凪くんとか、複数回見られるならもっとしっかり見ておきたかった…大凪くんはちぎたんにむかって「売女」と罵る場面があるのですが…ええのんか。いや、ちぎたんもロミジュリで思いっきりFxxKの仕草してたから今更か。
 フィナーレは娘役は白のチュール、黒燕尾のオヅキ氏とあやなぎくんのデュエダン→ちぎたんとあゆちゃんのデュエダン→ちぎたんとオヅキ氏のデュエダン(!!?) いや、マジでマジで。まさかのちぎたんとオヅキ氏のデュエダン。キスシーンまで入るかと思た(近いだけやったけども)愛プレのフレディーとジョセフのとはちゃうねん。あんなプラトニックではないねん。DHのあのシーンみたいなんやねん。
 燕尾群舞はなんていうか、重々しい。作品の雰囲気とガラッと変えてくるフィナーレが大劇場だと多い気がするけど、こと今公演に関しては芝居の雰囲気をそのままフィナーレにも延長してる感じ。
 而して、だ。フィナーレに入ってから舞台下手奥に置かれているグランドピアノの存在意義が解らぬ。なぜグランドピアノなのか。なぜそれが必要なのか。ちぎたんとあゆちゃんのデュエダンの間、それを眺めているオヅキ氏がそこにいて、あゆちゃんが捌けた後のちぎたんとオヅキ氏の絡みの場所である以外にグランドピアノの存在価値はなかった気がするのだがまぁそれで十分な役目を果たしたと言えば確かに…

 さて、とても気になるちぎたんの初日挨拶ですが。カミカミでした。でも噛む度に両手で「それはこっちにおいといて」みたいなジェスチャーで整理する姿がとても可愛らしい。スカステ向けにメッセージも(そして噛む)。もう挨拶の途中から涙目で、カテコ二回目からは頬を流れる涙もそのままに……笑いを取ってくれました。ちぎたん…!
 「ほっとしました…いや、まだほっとしちゃいけないんですけど、今日はちょっとほっとして、明日から千秋楽まで頑張ります」
 「みんなの気持ちを私が代弁しまして、『しあわせだなー……(超しみじみ)』今夜はゆっくり眠れそう」
 「今日、青年館初日…違う、青年館の千秋楽まで頑張ります」
 などなど。
 一回目のお辞儀だったか、あやなぎくんがスカートなのに、男役のお辞儀をしていた(そしてどっちつかずな腰の位置だったから間違えた、と思ったのかな)…二回目からは娘役のお辞儀になってたけども。
 オヅキ氏は両手でひらひら手を振ったり、ピースひらひらさせたり、こ、このひと怖い。笑いの取り方というか小ネタの仕込み方の巧さがハンパない。どうやったら一言も喋らなくても笑いが生まれるかよくご存じだわ…

 いやまぁそんなこんなで大分とばした上に主観に満ち溢れた感想ですがそんなんです。
 ある意味、とても宝塚らしくない舞台だと想います(銀ちゃんとは違う意味で)。重いし、暗いし、救いはないし、誰も報われない。評価も二分するかも知れない。けど、何にせよ「凄い」作品だと思います。
 一回しか見られなかったけど、私はこれで満足…というか、満腹です。複数回見るにしても、ダブルはキツいんじゃないかな…。

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