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Kyoto Sanga F.C. & Takarazuka Review and etc.

塩津港遺跡の現地説明会にいってきたよ

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超久しぶりの現説です。…だって現説のリリースって木曜に出るからその時点で次の土日が開いてることなんてまず無いしさ…そんなわけで琵琶湖の最北端、旧西浅井町塩津浜に行って来ました。

国道8号塩津バイパス、すごい綺麗な道が出来てた…(まぁそのための一連の発掘調査だけど)

前回塩津港の現説に来たのってどれの時やったかな…神像(塩津港遺跡現地説明会2008年11月)の時かな? 何度か行ってるのは確かなんだけど。


今回も旧塩津港の護岸拡張工事の痕跡が残る、これまでの調査地に隣接する部分。矢板の上がほぼほぼ現在の湖面に相当。

裏込め石は取り払われた状態の護岸の杭打ち部分。手前が陸地。写真の中で立ってる人は身長180↑なので杭の残り具合は推して知るべし。

埋立拡張の時期によって明らかに土の色が違います。左奥(新しい)方は砂っぽい。黒いところは(裏込め石は撤去済で)木器が大量に投棄されてたらしく、土を乾かして火を付けたら燃えるくらい木屑を含んだ土壌だそう。

拡張の時期によって違うのは土壌だけで無く、護岸工事のやり方そのもので、上の写真は縦に丸杭打ってるけど、これは杭と横板を組み合わせた護岸(先の写真より古い時代)。

この部分、道と手前の区画だけは、後に何度埋立拡張が進められても位置も角度も変わらなかったんだそうな。区画の目安的なものだったそうで、この面でも一枚はがしたら細かい木?が下に敷き詰めてあって、これは埋立の際の基礎工事なんかな。

で、この黄色矢印の部分の護岸が他とは別次元な檜垣の護岸。

拡大。これはほんとに一部で、もっと綺麗に残ってた所はもう取り上げられてしまって残ってなかった(´・ω・`) ほんとにさすが地下水たっぷりな土中にあっただけあって、編み具合がしっかり残ってました。これは凄い。

今回の目玉。構造船の一部? みたいな釘で接がれた痕跡のある板。丸く囲った所が釘の跡。

炭化米。凄い量です。関津城の炭化米もかなり多かったように思うけど、出てるだけじゃなく、相当な量の炭化米が出ているそう。……こんなけの米を炭にするようなこと(火事)があったんか…当時(12世紀)の食料事情にもよるけど、こんな大量に炭にしたら担当者エラいことになったんやろか…今日見られた遺構面の片隅が黒くなってたからあそこから出たのかな…?

大量の土器(奥は下駄)。白磁の人形の欠片も出てるし、過去の調査では緑釉も出てなかったっけ…今や琵琶湖の最北端のうらぶれた地域が一大物流拠点だった頃の栄華の名残か…

下駄は大きいのも小さいのも、歯がほとんど無くなるくらい履き潰された物で、他の土器片やらと一緒くたに埋立の時にガラクタも埋立資材に使われた模様。…冬の陣の後の大坂城の堀も壊した町屋の建材とかで埋められたんだっけ。昔の人は埋立の地盤とか今ほど気にしないんだなぁ…

これもまた大量の箸。下駄といい箸といい、これだけの廃棄物が出るくらいここには人が住んでたってことよね…繰り返すけど今や鄙びたry

説明の途中気になってた鍋の蓋みたいなやつ。これも聞いてみたら下駄なんだそうな。他にも取り上げられてないのがコロコロしてて、いやほんとこの遺跡広いし物も多いし…

墨書に書かれてた謎の文字はやっぱり近所の塩津神社の古い字(塩)なんじゃないのかなぁ、とか思ったり。

紫式部もおとーさんの赴任についていく時にここ通ってるし(そしてとてもタカビーな(死語)歌を残してる)、塩津ってほんとに、説明でも言われてるけど「今が一番寂れてる」のかもね。琵琶湖大運河構想がどこかのタイミングで実現してたらどうなってたんだろう。

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